自分たちは別格に置き2人を見下ろす論調には反吐が出る

一昨日に、目先底打ちとしていたためこの戻りは想定通り。あとは今晩の米雇用統計待ち。昨今の話題でちょっと気になることについて記したい。

 佐村川内氏が作曲したといわれてきたゴーストライター問題だ。この問題はずいぶん叩かれているが、私見ではまったく誰も悪くない。ただ道義上の問題が残る程度だ。だが、これぐらいの道義上の問題など屁でもないレベル。

 それは誰も被害者がいないためだ。レコード会社が訴えるとかほざいているが、いったい誰を何を訴えるのか。最大の享受者ではないのか。

 ゴーストライターの新垣氏が昨日記者会見で、これまで18年間でトータルの報酬は700万円と答えていた。7000万円の間違いではないかと耳を疑ってしまった。何と人のいい方だろう。

 長年ゴーストライターをしてきた新垣氏に非があるわけがない。では、訴訟も辞さずと息巻いているレコード会社は、まったく売れないクラシックCDが売れてかなりの利益を出した。感謝されてこそしかるべきだ。

 では、肝心要の佐村河内氏はどうか。道義上の問題といっても、それを上回る功績があると考える。なぜなら、素晴らしい楽曲を世に出してきたためだ。

 彼がセルフプロディースしていったい何が悪いのか。そんなことはマスコミや芸能の世界では日常的に行われていることではないか。彼だけ取り上げて悪人呼ばわりするのは全くバカげたこと。

 繰り返すが、彼なくしては名曲は世に出なかった。これは彼と新垣氏の問題であり、それを外野がとやかく言う資格は何もない。

 彼のCDを購入したり聴いた方で騙されたというなら、自分の耳の愚かさを恥じたほうがいい。素晴らしい楽曲はどんな背景があろうと素晴らしい。どういういきさつがあろうと、無から人を感動させるものを生み出すことは、並大抵の才能ではない。

 彼らを擁護するのは、ゴーストライターという世界が出版界や音楽界では日常的に行われているという現状があるためだ。出版・芸能・マスコミ業界人であれば、知らないものがいないイロハのイである。

 本屋で平積みなっているもので、ゴーストライターが手掛けているものは数えきれない。辞任した某知事や、自ら作曲したという二人組男性歌手など掃いて捨てるほどいる。

 それらを前提として今日の出版会やら芸能界が成り立っている。ゴーストの世界はいわば暗黙の了解事項なのである。

 それを知っていながら、彼らだけ批判の目を向けて攻めている輩達はいったい何様のつもりなのか。

 しかも、今日の日経1面のコラムでは、自分らの業界は著名作家でも昔あったことを認めたうえで、それと今回はまるで違うとうそぶいている。「被災した人たちを裏切った二人の音楽家の罪は深い」とまで言い切っている。

 いったい何を裏切ったのか。自分らの業界は許されるが、そうでないものは許されないというこの姿勢。まさに反吐が出る想いだ。

 一段高い所から見下ろすというこの態度。日本のマスコミの高慢ぶりが失われた20年の一翼を担ってきた。スポンサーの金の前にはあっという間にひれ伏す癖に輩に、2人が非難されることは全くないのである。繰り返すが、これは2人の問題だ。

 取材不足で見抜けなかったマスコミこそ、自らの目は節穴だったと猛省されるべきだ。それは死んでもしたくないものだから、その裏返しで非難するわけである。

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